"おじさん"ってどんな人?-哲学カフェ開催報告


 

アルコイリスでは、毎回違うテーマについて、それぞれの考えや経験を語り合う場「哲学カフェ」を毎月1度開催しています

 

哲学カフェとは、90年代にフランスではじまった試みで、カフェや公園など市井の中で

誰もがテーマについて考え、語るための場づくりです

日本でも、さまざまな地域で、さまざまなカタチで取り組まれています

 

アルコイリスの哲学カフェはというと、

・テーマごとに参加する方が変わること

・常連さんもいらっしゃいますが、毎回新しく参加する方も多いこと

・10代~70代まで、本当に幅広い世代が参加されること

・難しいことを難しい言葉で難しく考える、のではなく、

それぞれに異なった考え・経験があり、その違いを文字どおり"語り合う"ことに重きをおいていること

 

このあたりが大きな特徴かな、と考えています

 

さて、今回のテーマは「"おじさん"ってどんなひと?」です

ある年齢段階を迎えた男性=おじさん、と私たちは呼称するかというとそうではないかと思います

むしろ一定の行動や考え、イメージに該当する人をおじさんと呼ぶのではないかと思われますが…

この日は、対面&オンラインで19名の方々と、考え、語り合ってみました

 

※文中のFはファシリテーター、Pは参加者 をさします

 


ー "おじさん"ってどんなイメージ??

 

F:今日もよろしくお願いします。今日のテーマは「"おじさん"ってどんなひと?」ですが…

先にお伝えしておきたいのは、"おじさん"をディスるために私たちが話し合う、というわけではない、ということです

ルールにもあるように、特定の人の人格否定や中傷は厳禁です

とはいえ、みなさん自身の経験として、おじさんとみなさんが思う人と接していて、困ったなとか嫌な思いをしたということがあったら、それは率直に語っていただけたらとは思っています

 

さて、ではまず、みなさんにとっての"おじさん"のイメージから出し合ってみましょうか

 

P:自分の武勇伝を語るひと

 

P:人の意見や考えを聞かず、自分の考えをまげない人

 

P:あしながおじさんみたいに、貧しい人を救う人、貴族階級にあたる人

どうももともとはギャルや女子大生の反対的なイメージとして”おじさん”という言葉がつくられたという記憶があります

 

P:中年男性だけではなく、女性も"おじさん"を自称することがあるかと思います

がさつであったり、ざつな性格の自分を指す言葉として、「私、おじさんだから」といった使われ方です

もう1つは、若い女性をエロい目線で見ることも、おじさんという言葉に含まれているように思います

 

P:話している内容や情報が古い人というイメージ 20年も前に起きたことを昨日のことのように語る人

 

P:疲れ切っている、バイタリティを感じられない、しょぼーんとしている

 

P:みなさんの意見を聞いていて、なんというかネガティブなイメージしかないのでしょうか? どうなのでしょうか?

 

P:おじさんのポジティブな部分は、人目を気にせず、とらわれず、自分の考えに従って行動している、ところ

 

F:なるほどですね。みなさんのイメージとしての"おじさん"を出し合ったわけですが

イメージではなく、具体的な経験として、困ったなでも、助けられたなでもよいのですが…そのあたりはどうですか?

 

P:話のブレーキがきかなくて…どこで話を切ったらよいのかわからず困った…ということがあります

それで…要するに…の接続詞のあとがやたら長いとか

 

P:私の夫の友人の話なんですが、やたら説明してくださる方がいて…

「ねぇねぇ〇〇って知ってる?」って聞かれて、「知らない」と答えるととても真面目に教えてくださるのですが…

ひと通り話を聞いたあとに、「ん?」って

私はそのことについて「知らない」とは言ったけれど、「教えて」とは言ってないんだけれどなぁ…とふと思うことがあります

 

P:職場の飲み会のときに、同じ職場の若い女性に、「彼氏はいるの?」という質問をずっとこだわってしている人がいて…

これはややもするとセクハラだぞって思って、一生懸命に話をそらすのですが、その女性が答えるまで聞き続けるんですよね

こだわり出したら解決するまでとまらないといいますか…

 

P:電車や駅などでぶつかってしまう方がいて、あちらからは絶対によけないのですが、自分より年上の男性であることが多いです

 

P:おじさんは若者を応援することもあるのかなと。いろいろぐだぐだと話は長いのですが

一番最後に、「まぁ大変だけれどがんばれよ」って。そのなんか一言に「まぁ、がんばるか」って励みになることもあります

 

P:みなさんからの話を聞いていて、なんか困ったことや嫌なことが起こす人を、総称して"おじさん"って呼んでいるように思えて。ラベリングっていうんでしょうか? それってなんかそれでいいのかなって

 

P:ネガティブなおじさんイメージだけは確かにあるけれど、具体的な付き合いのある年上の男性をすべて"おじさん"と呼ぶかというと違いなって思います

たぶんおじさんに限らず、人の話を聞くとか、ちゃんと対話できる人は自分にとってはいい人で、そういう人をわたしは"おじさん"とは呼ばないです

 

F:今の意見はとても大切なように思います。ある年齢段階の男性⇒おじさん⇒人の話をきかない困った人、という形でイメージだけで語るのではなく、具体的な経験とイメージの間を解きほぐしながら考えることが、ラベリングのように十把一絡げにしないためにも重要なことかなと

 

P:だいたい想定どおりの話のなりゆきというか、おそらく長い歴史や社会的な背景の中で、ネガティブなおじさんによって、多くの人が苦しめられてきた結果の、みなさんのイメージなのだろうと思います

それは重々に受け止めるとして…

私が気になるのはそうしたおじさんがそうなってしまうのはどうしてだろう?ってことです

たとえば、話が長くなるのも、結局は職場で言ったら上司のように権力や決定権をもってる人がいて、部下は当然その人の話を聞こうとしますよね。だから結果、話が長くなってしまうという背景があるように思えて…

そのあたり、考えてみたいです

 

F:おじさんが"おじさん化"する条件や環境ってどんなものだろうか?という問いかけでしょうか? いい問いだと思います

 



ー なぜ、"おじさん"化するのだろうか??

 

P私の父親は戦前の生まれなのですが、食事に行こうというときにインド料理やアジア料理は絶対に食べなかったですね

おそらく当時の教育や価値観の中で、インドやアジアの人たちを下に見る、というのがあったのだろうと思うのですが

口癖のように「そんなものが食えるか」と言っていたのを思い出します

若い頃に植え込まれてしまった価値観から脱却するのってかなり大変なのかなって

 

P私が思うに、とても真面目な人なのだろうと思います

自分というものよりも、ある種の秩序のようなものを守ろうとする、というか

年功序列とか、目上をたてる、という価値観が支配的な中で、

それに心の中では反撥していても表には出さず、秩序をまもるために歯車になってきた人たちが、

結果おじさんになってしまうのではないでしょうか

 

P今の意見に似ているかもしれませんが…

権威にさらされてなんとか生き抜いてきた人たちが、同じく年長者になっていくにつれて、

権威的にならないと生きていけなかったってことなのかなと

そうしないと、自分が耐えてきたものは一体なんだったんだろうか?となって、やりきれなくなってしまいます

結果的に、自分が受けてきたことと、同じことを若い世代にもしてしまうのではないでしょうか

 

P私は、今のおじさんと、100年前、1000年前のおじさんは違うのかな?、それとも同じ部分があるのかなって考えたのですが…

自分がおじさんだなって思ったときは、「今の若いものは」と思うようになったり、実際に言葉にし出したときなのです

どうも昔の文献などを見ていても、最近の若いものはという著述がたくさんあるようです。万葉集とかにも

自分が得た価値観や時代の流れについていけず、どこかで凝り固まってしまう…そうなるとおじさん化するのかもしれません

 

P先ほど、説明してくれるおじさんの話がありましたが、ちょっと反省をしたのですけれど…

心の中では全然思っていなかったとしても、言葉として“すごいですねー”って応答しちゃうんですよね

棒読みのようなときが多いのですが…

でも、すごいですねーとか、なるほどです、とか言いながら

結果的に話を聞いちゃうと、相手の方は「おもしろがって聞いてくれているのだ」と思って話し続けてしまう

 

F:なんで、なるほどですーとかすごいですねーとか、そういう対応をしてしまうのでしょうか?

 

P:諦め?ですかね。やりすごしというか…、早く終わらせたいとか、怒り出したら困る…というのもあるかもしれません

あとは、自分の中に目上の方が話しているとき、さえぎるのは失礼という思い込みがあって

軽い相槌をうってしまうと、結果助長させてしまうという

 

P:それは、「かぶせ」と「ずらし」というテクニックで解決できるときがあります

相手の話のキーワードの一部を切り取って、まったく別の話題にそらす、というような

 

P:でもそれ、年下の男性がやると、間違いなくキレられて、お前はまだ若いなって一蹴されますよ

さえぎったり、質問したりすると、どうしてすぐキレて怒るのだろう?って考えたとき

やっぱりずーっと、ずーっと、話を聞いてもらってきたわけですよね、誰からもさえぎられることなく。

周りがその人の話を聞きたいと思っているか否かは別にして、

聞いてもらってきちゃったという環境や状況が、おじさん化させてしまうのだろうと思います

 

P:みなさんの話を聞いていると、そうやって、どうでもいい話やつまらない話を聞いてくれる、というのは周りの優しさですよね

その優しさに甘えてきたところもあるけれど、その優しさを当然のことのように思って胡坐をかいたらアカンのだな…と、思いました

 

P:そうしたね、話が長かったり、武勇伝を語るようなおじさんと

どういうコミュニケーションをとったら、適切な距離感をもって付き合えるのでしょうか?

なにか、妙技や奥義はありませんか?

 

P:武勇伝や自慢話がとまらない人には相槌をしてしまうのではなく

「あなたのような立場になられるには、若いころからとても苦労されたんですね」と質問をしてみるとよい、とアドバイスをもらったことがあります

その質問をすることで、相手の方は「その苦労がわかってもらえた」「自分の苦労を理解してくれる人が現れた」と思って、逆に気をかけてくれたり、一目を置いてくれるということがありました

おそらく、生きていく中で苦労や葛藤はおじさんたちにもあって、でも男性で年上という状況だとなかなかそうした苦労って伝えられない

だからそれが聞き遂げられるとデトックスになるというか、落ち着くみたいです

 

P:苦労を聞くというのもなるほど、と思いますが、武勇伝をしてきたときの端的な対処法は…

「で…? 今は?」 がかなり有効です()

 

P適切なコミュニケーションの取り方、ということですが…

先ほどのセクハラぎりぎりの発言をするような方に対して、どういうふうに対応したらよいのかなって

直接NOといったところで果たして通じるのかな?って

 

Pこれは職場だから…という前置きですが、人事部とか上司とか、さらなる上の権威から注意してもらうというのがよいように思いますが…

 

P実は、困ったおじさんって、周りの同世代の男性たちも困ってたりもしているんです

だから、周りのおじさんに頼って伝えてもらうということも考えられると思います

 

P個人やあなたの問題としてそのおじさんに伝えるのではなく

今はそういうのセクハラっていうそうですよとか、セクハラによって事件や裁判も起きてますよといった

社会問題として伝える…というのは…??

 

Fいずれの伝え方も、まわりくどいというか、直接面と向かって言えない…という意味では正攻法ではない…ですよね

工夫せねばならぬ、という状況がおかしいように思いますが…?

 

Pセクハラやパワハラは、今の話のように当事者や嫌な思いをした人が、直接言えない”/”言いづらい環境や状況ができていること…が背景にありますよね

うちの職場では、同性が注意する、ないし問題を伝えることを積極的にしろ、という話になっています

おじさんには、おじさんが言っていかないと変わっていかないし、変わらない

 

 

 


ー いい"おじさん"って?

 

P:ネガティブなおじさんの話が続いているのですが…

ポジティブなおじさん、いいおじさん、っているのでしょうか? そしてそれはどんな人?

 

P:一言で言えば“水のような”おじさん…かもしれません

ぶつかってくるおじさんとか、話がめっちゃ長いおじさんとか、ネガティブな意味で記憶に残りますよね

そうではなくて、いい意味で、記憶になんら残らない

普通に自分の人生の中で通りすぎていくおじさん

無色透明でさらさらな…とでもいいますか…そんな印象があります

 

Pいいおじさんって考えたときに、マナーがきちんとしていることはもちろんですが

自立的な人? 

これまで出てきたような、人にたくさん話を聞いてもらうことで充足感を得ようとしなくても済む人

つまり、人からの承認を前提にせず、自分でやりたいことややるべきことを見つけて

自己充足している方といえるかもしれません

そうした方は、やはり人として、尊敬できるので

 

P:私が尊敬できるなって人はだいたい年上の男性の人たちかなって振り返って思うんですが

ずっと学び続ける姿勢がある人

そして、もう1つは、若者の考えや意見、行動を見下してバカにしたりせず、興味をもって聞こうとしてくれる人ですね

きちん距離をはかれる人、自分のタイミングでズケズケ入ってこない人かなと思います

 

P:おじさんで尊敬できる人って、考えてみると"おじさん"と呼んでなかったなって、思い出しました

そういう人をぼくは、おやじと呼んでいます。親しみと尊敬を込めて…

 

P:若い人だって人の話を聞かない人もいれば、高圧的な人もいる

そういう意味では、年齢・性別に関係なく、おじさんっぽい人はやっぱりいて

だから、年齢・性別など外側の問題ではなくて、やっぱり概念的なものなのだろうなって思います

 

F:そうなると…年齢・性別・外見…ではなく、言動によっておじさんか否かが決まる

さきほどの話も踏まえれば、みなさんが尊敬できたりいい人だなって思う人

つまり、いいおじさんは、もはや、おじさんではない、ということになりますかね

 



ー "おじさん" の 生きづらさ

 

P:私の友人に二人のおじさんがいて、とても対比的だったりします

一人はこれまで出てきたような、一方的に自分の話をしつづけたり、昔話ばかりする人

もう一人は、対話的で話しあいができる人…なのですが

この二人は、何が違うんだろうと思って考えてみると…

後者の方は友達がたくさんいて、多様な人間関係の中で、いろんな話を聞いていて

日々、アップデートされているという印象があります

だからいつでも新鮮な話をその人はしてくれるし、話を聞いてくれるなって思うんです

 

F:今のお話にとてもつながるのですが…

これまで哲学カフェをやってきて、とても印象に残っている2人の男性がいます

ひとりは70代くらいの方で「寂しさをかんじるときって?」というテーマで哲学カフェをやったとき、

寝ても覚めてもひとり。この絶望的な孤独感を感じていきています」といいながら、

「ただただ、寂しかったんですね、と共感されたいのです」と大粒の涙を流しながら語ってくれた方。

 

もうひとりは、退職直後の男性でしたが

「毎日が日曜日…これほどつらいことはない…」と、苦虫をかみつぶしたような顔とともに語ってくれた方。

 

私はこの二人の語りはとっても印象に残っていて…

その上で思うんです、「おじさんにも生きづらさがあるのではなかろうか?」って。このあたりはどうですか?

 

P:今の話は、すごく共感できるし、感じ入るところがあります

自分も男性として生きてきて、思うところがありますが…

やっぱり多様な人間関係や友人関係から疎外されて生きてしまった

もしくは、友人関係も同じような価値観の集まりの中で、年を重ねてきてしまった

だから、新しいものに抵抗感を示すし、価値観も凝り固まってしまうのではないかなって

 

P:そのあたりの情報…

先ほどの二人のお話のように、絶望的なほどの孤独感と、日々やることがないことの苦しさ…を

ある程度若い段階の人たちにも、情報開示して伝えていくことができたらいいんじゃないかなって

老後は2000万円のお金が必要っていうお金の話だけではなくてね、日々の暮らし方や人間関係の作り方とか

 

P:先ほどの二人のようにならないように、一生懸命生きてきたかなって思っています

私はもう退職していますが、大学の同窓会などに出てもつまらないんです

どこまで出世したかといったマウントの取り合いと、日々やることがない…という愚痴ばかり…

会社のころの生き方や人との接し方のまんまではいけなくて、どこかでその習慣を崩す必要があるのかなと

 

 

P:職場でずっと働いてきた中では、男性は上下や序列をはっきりさせる縦社会と、同調圧力の中で苦しんできたなって思います

一方、女性は横のつながりの中で自由に生きてきた

人間関係の取り方も、コミュニケーションの取り方も全然違う世界が存在しているって女性たちの人とのかかわり方を見ていて思います

 

P:今の話を聞いていて…

やはり、サードプレイスがない人。つまり自宅と会社以外に居場所がない人が、おじさんになってしまうのではないかなって

2つの居場所のうち、退職後は会社がなくなるので、自宅しかなくなってしまう

そうすると、自分が積み重ねてきたものを威張るしかない

ときには逃げ場所にもなるサードプレイスのような場が多くあると、友人関係も広がってアップデートにもつながっていくのではないでしょうか?

 

P:おじさんの生きづらさという話でしたが、コロナになってからこっちに引っ越してきて一人暮らしをしていて

仕事し始めたころ、まだテレワークのシステムが構築されておらず、2か月くらいずっとやることなかったんです

家にずっとひとりでいて…仕事もないしやることもない。

このままだとやばいなって、正直感じました。

誰かと会うこともないし、誰からも必要とされていない

毎日が日曜日で、このまま孤独死するんじゃないかって

空虚な感じと、老後の暮らしが垣間見えた怖さを感じました

それから、こういう場で人と関わるものに参加するようになったという経緯があります

まだぼくは20代ですけれど、先ほどのふたりの話は正直、他人事ではないです

 

P:孤独とやることのなさの苦痛を自分も経験したことがあります。

一度転職をしているのですが、前の職場を退職して、次の仕事がはじまるまでの丸2か月…

友達は平日仕事をしているから誰とも会えないし、話をする相手もいない

正直、人生の中で一番つらい時期でした

やることのないストレスで、皮膚病になったくらいです

次の職場で働く段階になって、ようやく、この地獄から解放されたという気持ちになったことがあります

そして、もう二度と同じ過ちを繰り返したくないって今から退職後のことを真剣に考えてしまいます

 

P:何にでも興味をもって取り組んでみたらよいのではないかと思いますが…

オンラインだったり、今流行っている歌だったり、なんでもいいのですが

別の世代が興味をもっていることに興味をもつってことが大切なのではないかなって

 

P:サードプレイスが必要とか、興味をもって取り組んでみるといった意見がありますが…

ぼくは、大学生のころ1~2年間、ずっといわゆる"ぼっち"でした

授業をうけて一人でごはんたべて、授業終わったら一人で図書館にいって本を読んで、図書館がしまるころ一人暮らしのアパートに帰って…という感じです

3年生になってゼミに入って、他者と交流することをある種強制されたことで

ようやく人と関わる機会をもつようになった

今思えば、自分だけの力ではどうやっても解決できなかった…と思います

 

サードプレイスをみつけるとか、他者と関わればよいというほど単純な問題でないのかもしれない

周りに、こうしたらいいよとか、ここに行ってみたらと勧めてくれる人がまったくゼロな場合、

 

 

正直いえば、人間関係が生まれる余地がどこにもないです

孤独とか、やることがない、人間関係がない…といったおじさんたちが抱える問題って、

実は自力で解決することはかなり難しい…のではないか? と自分の経験から考えさせられてしまいます

 

 

F:はい、時間がきたのでこれで対話を終了します

本日はどうもありがとうございました 

 

 

 


ー 対話を終えて (ふりかえり)

 

正直、今回のテーマはかなり懸念がありました

ある特定の人物像をテーマに掲げるということをこれまでやったことがなかったし

ややもすれば、ディスり大会、愚痴大会で終わってしまうのではないかという不安も

 

しかし、ひと通りおじさんのイメージをシェアしたあとは、

おじさんを"おじさん化"させてしまう背景や環境ってどんなものなのか、

おじさんの生きづらさや、それがなぜ生まれてしまうのか…

といった、おじさんという像の後ろ側にまで、みなで話せていったことは、とてもよかったのではないかと思います

 

 

背後にあるのは、縦社会、上下関係、マウントのとりあい…といった競争が通底するコミュニケーション文化の中で

しのぎを削って生きてきた…

一元的ともいえる人間関係や原理、生き方の中で生きざるを得なかった、ということが見え隠れしています

 

一方、孤独感や、やることのなさ、は世代も性別も超えて共感できる不安や懸念であって…

実は若い世代でも、それらに深刻な恐怖感をもって生きていることがよくわかりました

 

職場以外の人間関係が多様にあって、日々多様な人と関わりながらいろんな生き方や価値観に触れて生きていけるのであれば…

"おじさん"化しない、しづらいのかもしれません

 

テーマは"おじさん"ってどんな人?でしたが、もっともっと奥行のある話し合いになったかなと思います

 

ご参加いただいたみなさま、具体的な経験や考えを語ってくださったみなさま、

ありがとうございました!

 

 


 

※この記録は、当日のメモを頼りに記憶をたどりながら書いています

実際に話された内容と大きく異なってはいないものの

微細な表現や言い回し、また語りのすべてを表現できたわけではありません

おそらく交わされた言葉は文章に表現できた数倍の量だと思います

あしからず

 

文責:川上(アルコイリス)

 



記録・ファシリテーター

◆川上和宏◆

1984年、群馬県生まれ / 大人の秘密基地arcoiris 共同店主

杉並区社会教育センターにて社会教育・生涯学習の企画運営に携わったあと、

2013年にアルコイリスを起業・運営

千葉大学大学院教育学研究科卒、東京学芸大学博士課程満期取得退学

大人向けの哲学対話の場、哲学カフェ@アルコイリス・主宰

その他、この世界について他者と対等に語り合うための場づくりをお店にて実践中